「霞流さんはいつもそうなのよ。現場で着替えるのが当たり前ってカンジ」
背中のファスナーを丁寧に上げながら、美容師の井芹は付言した。
前は名前も聞かなかった。再び顔を合わせることになろうとは思っていなかったのだから、知る必要もなかった。
「いつもって言っても、しょっちゅうこんなコトがあるワケじゃないし、その度に私が呼ばれるワケじゃあないんだけどね」
私はこれで三回目、と背中をポンッと叩く。
「こういう服着るの、初めてでしょ?」
「え?」
ドキッと身体を震わせる態度に、井芹はふふっと笑う。
「肩に力が入っている」
だって、こんな柔らかくてスルスルした生地だから、肩とかズリ落ちてきそうだ。
ってか、これって袖ないじゃんっ 二の腕丸見えなんですけど。
「大丈夫よ」
美鶴の心を読んだのか、井芹が手にしたモノを広げる。
「ボレロ羽織れば」
コサージュの付いた、ベージュともピンクとも表現できないラメ入りボレロを羽織ってみる。
なるほど。これなら二の腕も首元の露出も防げる。
「似合ってる、似合ってる」
「はっ はぁ」
おずおずと正面の姿見を覗く。
胸元に刺繍の入った上品なワンピース。色も黒だし、ウェストのリボンにも引き締め効果があるのか、背筋を伸ばせばそれなりに見える……… ような気もする。
だがやはり見慣れない。
「じゃあ、ここ座って」
「はい……」
言われるがまま腰をおろす前には、ずらぁ〜と並べられた………
これは何だ?
「じゃあ化粧してくね? 今までしたコト、ある?」
「けっ?」
けっ けっ 化粧?
「ありませんっ」
あるワケなかろう。
だが井芹は、目を丸くして肩を竦める。
「へー イマドキの高校生は、化粧なんて当たり前だと思ってたんだけどね」
そう言いながらテキパキと準備を進めていく。美容師とは、化粧の世話までするものなのか?
「特に今日はSera・Kのパーティーでしょ? 気合入るなぁ〜」
美鶴にというよりも、むしろ自分に言い聞かせているかのよう。
「せらけい?」
何気なしに問いかける美鶴に、井芹は思わず手を止めた。
「え? 知らないの?」
「し…… 知りません」
「知らずに出るワケ?」
「はっ はぁ〜」
その返答に絶句し、だがさすがはプロ。止めた手をまた動かし始める。
「まぁ ちょっと高級志向あるし、どちらかと言うと二十代以降向けってカンジだからなぁ〜 でも知らずに出るとは、アンタすごいね」
これは、褒められているのだろうか?
「Sera・Kってのはね、化粧品のブランド」
化粧品会社を設立した、霞流慎二の母の友人。彼女の主催だとは聞いている。
「化粧品と言っても、こういった口紅とかファンデーションとかって言うんじゃなくってね」
数種類並べられたファンデーションの一つを手に取り、チラリと美鶴へ見せる。
「化粧水とか乳液とか、いわゆる基礎化粧品ってヤツを扱ってるブランド。あ、最近は口紅も出したんだっけ?」
化粧水に乳液…… 美鶴には縁のない代物だ。
いつも洗いざらしのままの顔。冬は少し、突っ張るような気もする。だが、そんな物に金はかけられない。
「まぁ、今はたとえば添加物不使用とか植物性なんていう、素材を売りにした商品がバカバカ出てきてるからね。そんなんだったら別に大したコトないんだけどさ」
鏡越しに向かい合う。
「Sera・Kは、容器がマイベセルなのよ」
「マイベセル?」
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