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【アラベスク】  第5章 古都の夢



第2節 再会は甘く優しく [14]




「霞流さんはいつもそうなのよ。現場で着替えるのが当たり前ってカンジ」
 背中のファスナーを丁寧に上げながら、美容師の井芹(いぜり)付言(ふげん)した。
 前は名前も聞かなかった。再び顔を合わせることになろうとは思っていなかったのだから、知る必要もなかった。
「いつもって言っても、しょっちゅうこんなコトがあるワケじゃないし、その(たび)に私が呼ばれるワケじゃあないんだけどね」
 私はこれで三回目、と背中をポンッと叩く。
「こういう服着るの、初めてでしょ?」
「え?」
 ドキッと身体を震わせる態度に、井芹はふふっと笑う。
「肩に力が入っている」
 だって、こんな柔らかくてスルスルした生地だから、肩とかズリ落ちてきそうだ。
 ってか、これって袖ないじゃんっ 二の腕丸見えなんですけど。
「大丈夫よ」
 美鶴の心を読んだのか、井芹が手にしたモノを広げる。
「ボレロ羽織れば」
 コサージュの付いた、ベージュともピンクとも表現できないラメ入りボレロを羽織ってみる。
 なるほど。これなら二の腕も首元の露出も防げる。
「似合ってる、似合ってる」
「はっ はぁ」
 おずおずと正面の姿見を覗く。
 胸元に刺繍の入った上品なワンピース。色も黒だし、ウェストのリボンにも引き締め効果があるのか、背筋を伸ばせばそれなりに見える……… ような気もする。
 だがやはり見慣れない。
「じゃあ、ここ座って」
「はい……」
 言われるがまま腰をおろす前には、ずらぁ〜と並べられた………
 これは何だ?
「じゃあ化粧してくね? 今までしたコト、ある?」
「けっ?」
 けっ けっ 化粧?
「ありませんっ」
 あるワケなかろう。
 だが井芹は、目を丸くして肩を(すく)める。
「へー イマドキの高校生は、化粧なんて当たり前だと思ってたんだけどね」
 そう言いながらテキパキと準備を進めていく。美容師とは、化粧の世話までするものなのか?
「特に今日はSera・K(セラ・ケイ)のパーティーでしょ? 気合入るなぁ〜」
 美鶴にというよりも、むしろ自分に言い聞かせているかのよう。
「せらけい?」
 何気なしに問いかける美鶴に、井芹は思わず手を止めた。
「え? 知らないの?」
「し…… 知りません」
「知らずに出るワケ?」
「はっ はぁ〜」
 その返答に絶句し、だがさすがはプロ。止めた手をまた動かし始める。
「まぁ ちょっと高級志向あるし、どちらかと言うと二十代以降向けってカンジだからなぁ〜 でも知らずに出るとは、アンタすごいね」
 これは、褒められているのだろうか?
「Sera・Kってのはね、化粧品のブランド」
 化粧品会社を設立した、霞流慎二の母の友人。彼女の主催だとは聞いている。
「化粧品と言っても、こういった口紅とかファンデーションとかって言うんじゃなくってね」
 数種類並べられたファンデーションの一つを手に取り、チラリと美鶴へ見せる。
「化粧水とか乳液とか、いわゆる基礎化粧品ってヤツを扱ってるブランド。あ、最近は口紅も出したんだっけ?」
 化粧水に乳液…… 美鶴には縁のない代物だ。
 いつも洗いざらしのままの顔。冬は少し、突っ張るような気もする。だが、そんな物に金はかけられない。
「まぁ、今はたとえば添加物不使用とか植物性なんていう、素材を売りにした商品がバカバカ出てきてるからね。そんなんだったら別に大したコトないんだけどさ」
 鏡越しに向かい合う。
「Sera・Kは、容器がマイベセルなのよ」
「マイベセル?」







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